ファウンデーション(財団)資本主義

ビル・ゲイツマイクロソフトの経営の第一線から身を引いて、慈善事業に軸足を移すことが、最近話題になった。

6月15日、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツは、2年後に、彼の活動の軸足を、マイクロソフトの経営から、夫婦で運営する「ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団」へと移すという「過渡期プラン(Transition Plan)を発表した。
余韻さめやらぬ6月25日。今度は投資家ウォーレン・バフェットが、私財310億ドル(約3兆6千億円)をゲイツ夫妻が運営するこの財団に寄付することを発表した。

ウォーレン・バフェットって、私はそんなに詳しくないのだが、長期保有を前提にした株式投資で、巨万の富を築いた伝説の投資家だ。ほぼ世界で1番目と2番目に有名な大金持ちが、いっしょに慈善事業をやるという。その金額も、普通の人にはリアリティがまるでないレベル。

グローバリゼーションが進み、フラット化する社会では、救うべき貧困も教育の必要も国境を越える。ゲイツの財団が手がけているのは、世界の極貧地域の健康問題であり、教育問題である。
この世界の変化に対応するためにゲイツとバフェットという2人の資本主義の達人が出した結論は、「ファウンデーション資本主義」と呼べるものである。
資本主義というお金の循環の中で、富の蓄積という動脈に対して、富の配分という静脈の機能を強化しようという哲学である。
しかし、ファウンデーション資本主義の機能が進化しプロフェッショナル化すればするほど、それは、古典的な資本主義や自由主義的概念とは異質のものとなるだろう。国家や国連など既存の政治システムの機能と抵触し、場合によっては対立する。現在のゲイツ財団の行動でさえ、米国の財政政策に対する批判と見ることができる。


参考:フォーサイト2006年8月号 46ページ

なるほどこういう見方もあるのかと思った。財団の資金規模は小国の国家予算などはるかに凌駕している。極論をすれば、民主主義的な手続きに乗っ取って国が運営されているということは、民意が反映された優先順位に基づいて予算配分や行政活動が行われるが、財団の資金はその優先順位を反故にする力を持ち得るということだ。
これは、やっていることがいいことか悪いことか、という判断基準で割り切れることではないはず。善政を敷いていれば、絶対権力を持った独裁者が国を治めてもよいということには絶対ならないわけだから。