陸軍中将 栗林忠道

太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島の総指揮官(兵団長)を務めた。
島中に地下壕を掘り、二万余の将兵が全員地下に潜って徹底抗戦する作戦を選んだ。本土への空襲を防ぎ一般市民の生命を守るためには、自分たちが一日でも長く生き延びて島を維持することが必要だと判断したからである。華々しく戦って散ろうと幕僚は反対したが、一般の兵士はこの判断を理解したという。貴重だった水や食糧の配給では、将校の優遇を禁じて、自身も一兵卒と同じものを食べた。
最後の総攻撃の際には、切腹を選ばす陣頭に立って戦い、敵弾に斃れた。階級章を外して出撃したために遺体は見つからず、一般兵士と同様に誰とは特定できない骨として島の地下に眠っているという。
兵団長自ら突撃した例は、日本軍には先例がないそうだ。「部下に要求したことを最後に自ら実行した」ということだ。

日本軍では、自暴自棄になってバンザイ突撃をしたり、敵に討たれるよりはと切腹したり、ある意味自分のことしか考えていないケースが多かった。自らの役割を自覚して最後まで職責を全うしたこの姿勢は、私には心打たれるものがあった。


参考:文芸春秋2006年8月臨時増刊号 私が愛する日本 50ページ